「FX意識改革」ブログ

 2009年から専業トレーダーになる方法を真面目に解説しています。
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# FX意識改革117 現象学的トレード思考 その3
前回に引き続き、哲学の現象学を応用した相場の見方を解説します。


それは以下の順序で行います。


1 先入観を排除して現在の相場を観察する

2 現在の相場の特徴=本質を抽出する

3 現在の相場にいる人たちの立場を考えて、
  その妥結点を引き出し、相場が上がるか下がるかを判定する


今回は前回に引き続き手順1と、次の手順2について解説します。



●チャートを見る前に心理状態をチェックする


前回お話ししたようにチャートを見る前には、
心をまっさらな状態にしなければなりません。

・早く儲けたいという欲望
・暴落(暴騰)してしまうのではないかという恐怖
・相場が自分を嵌めているのではないか?という怒りや疑心暗鬼

このような心理状態下では、チャートを冷静に見ることができません。


今回はチャートの見方を中心に話したいので、
観察前の望ましい心理状態については簡潔に述べますが、
心理的な動揺を克服するには「吹っ切れ」が必要です。

ちょうど先週末にプロ野球が開幕しましたが、
野球に例えるならば、満塁の場面を想像してください。

ノーアウト満塁のピンチを招いたピッチャーが
一点を惜しむような投球をすれば、それは大量失点のリスクが高まります。
四球を恐れてしまえば投球フォームは縮こまって棒球になり痛打されるでしょう。

このピンチを抑えるためには、
「何点でも取られてもいいから、自分の最高のピッチングをしてやろう!」
という「吹っ切れ」が必要不可欠です。
それは結果を恐れずに、まさに今、全力を出すことに集中するということです。

トレードも別にいくら負けようがかまわないから、
実力を出し切ろう! 正しいトレードをやろう!

という損得勘定を度外視した「吹っ切れた」感覚を得られないと、
トレード中の心は常に欲や恐怖に煽られて不安定なままです。

どうしたら自分が「吹っ切れた」感覚になれるのか?
(それはたいていロットを減らすことでなれるわけですが)
を常々考えておく必要があるでしょう。




●チャートを正確に見るための心構え


チャートを見る前に自分に
心理的な色眼鏡がかかっていないかを意識してください。

前述したように、
儲けたいとか損したくないとか負けたお金を取り戻したい・・・なんて思っていると、
それは自分の願望をかなえてくれる都合の良いチャートに見えてきてしまいます。

この欲望の色眼鏡を外して、まっさらな心でチャートを見ることができたら、
現象学のテクニックを使って、
そのチャートから本質観取(本質を見つける作業)を行います。

本質観取については、前々回にリンゴの例で説明しましたが、
別の例でおさらいしておきましょう。


ここに醤油さしがあるとします。


醤油さしの「本質」とはなんでしょうか?
必要な部分(本質)と必要でない部分があるはずです。
それを観取してみましょう。

醤油さしであることを忘れて外見を観察すると、

白い陶器に入っている。小瓶の形をしている。
蓋がついていて中は空洞。小さな注ぎ口がある。
醤油が入っている。

といった特徴が見てとれました。

これらの分解した要素=材料から、
改めて醤油さしの本質とは何かを考えるのです。

それは醤油を注ぐ器ですから、
醤油を中に入れる空洞と小さな注ぎ口は絶対必要です。
これがなければ醤油さしとは呼べません。

仮に注ぎ口がなければ、それは注ぐことができない容器であり、
中が空洞になっていなければ使えない模型であり、
いずれも醤油さしとは言えないでしょう。

ただし、材質は陶器でなくてプラスチックであっても、
あるいは色は白ではなくて、青色や透明でも、
あるいは形は小瓶ではなくて、三角形をしていてもいいでしょう。

つまり、容器の材質や形や色は、
醤油さしの「本質」部分ではないということなのです。


醤油さしの本質とは

「醤油を保管できる空洞と注ぎ口がある容器」

というものです。

このように機能上絶対に必要な要素と、必要でない要素を分けることは、
モノの本質を見抜くときに重要なことなのですね。

あなたが人や商品を判断するときには、
このように「本質」とは何かを改めて考えてみるといいでしょう。
すると、結構どうでもいいところで心を惑わされていることがわかるはずです。

たとえば冷蔵庫の本質といえば、
それは、ある程度の量の食品を冷蔵することです。

でも、それ以外の余計な機能、
マイナスイオン発生装置とか、カラフルな外見とか、
ハイパー省エネモードとか、高速冷凍システムとか、
〇〇周年限定版プレミアムモデルとか、メイドイン〇〇とか・・・

本質からズレたいわゆる「付加価値」に惑わされていることが多いはずです。
そのようなさほど重要でない付加価値が、
不当に製品の値段をつり上げてもいるのです。

賢い消費者は本質に注目しますが、賢くない消費者は付加価値に惑わされて、
余計なお金を使ってしまうことになるのですね。

実際そのような消費者が多いからこそ、
企業は本質からズレた付加価値をつけることに力を注いでもいるのです。
それは日ごろ買う食品や携帯電話、果てや車や家にいたるまで、
なんでもいえることだと思います。


さて、相場を見る際にもこうした不要な部分に
心を惑わされないようにすることです。

本質から外れた不要な部分は、大胆にカットしましょう!

ファンダメンタル重視のトレードで、指標に注目するとしても、
相場の流れを形づくる影響の大きな指標は、雇用統計や金利政策発表ぐらいです。

そのほかの小売物価指数だとか住宅ローン申請数だとか
些細な指標や要人発言などに心を奪われていては、
「木を見て森を見ず」ということわざ通り、相場の大きな流れを見誤ることになります。

そもそも相場の本質とは「人気投票」なのです。
どの通貨が人気があるかないか、つまり、売られているか買われているかです。

ドルが人気があればドルを買えばいいし、
ユーロが不人気ならユーロを売ればいいのです。

為替の根幹部分はとてもシンプルなのです。
そこにいろいろな付加的な情報(指標など)が加わっているから見誤るのですね。




●相場の観察範囲を限定してパターンを見抜く


というわけで、このような考えを念頭にチャートから、
現在の相場の本質を観取していきます。

さて、相場の流れには大まかに分けて以下の5つのパターンがあります。

・上昇トレンド
・下降トレンド
・レンジ
・レンジブレイク中
・乱高下

現在の相場がどの状態かを判定し、
それに適したアプローチを取ればいいのです。


チャートを観察するときですが、
まず気を付けたいのは、ロウソクの本数です。

見る足は分足でも時間足でも日足でもいいですが、
観察する範囲=ロウソクの本数を決めておかないと
どんなチャートでもそれはレンジに見えてしまいます。

私の経験則としては、
ロウソクは30本程度に絞って見るのがいいでしょう。

それは5分足にしたら、5分×30本=150分になります。
これは短期のデイトレーダーにとっては大切な時間の区切りです。

なぜならば、冬時間で
日本市場オープン後の9時〜11時、
欧州市場オープン後の16時〜18時
米国市場オープン後の22時〜12時

の時間帯は、
一度できた売買の流れがその時間帯は継続していきやすいからです。
ざっくりといえばその市場が活況なうちは流れが継続しやすく、
それがだいたい2〜3時間の幅であるからです。

次の市場に移ると突然流れが反転することも多いので、
短期のデイトレーダーは各市場が活況な間に取引して、
儲けがでたら不要に持ち越さずに利食いをしておきます。
そしてまた次の市場から改めて入ればいいのです。

また、1時間足でロウソク30本であれば、それは30時間となり、
だいたい1日のスパンになります。

陽線が出る日というのは、
朝方は強く、欧州時間でやや落ち込み、米国市場で盛り返して伸びていく
というような流れになりやすく、
時間足では一日程度トレンドの流れは持続することになります。

日足でロウソク30本ならば、これは一か月となり、
やはり区切りがいいでしょう。

というわけで、
ロウソク30本の範囲で、チャートを観察していくのが私のやり方です。
その範囲で現在はトレンドなのかレンジなのか乱高下なのかを判別するのですね。



●トレンド相場の見抜き方


それでは改めて「トレンド相場」の本質とは何でしょうか?

それは上がり下がりをしながらも、
一定時間の間、上下いずれかの方向に持続的に進んでいくことです。

上昇トレンドであれば、
トレンドラインや移動平均線に支えられて値が切り上がっていく形になります。
なので、上昇トレンドであると認定するためには

・徐々に値が切り上がって進んでいる
・トレンドラインが引ける

という要素が不可欠です。これが上昇トレンドの本質と言えるでしょう。

指標などで突発的に急騰するチャートもありますが、
これは値が切り上がって徐々には進んでいないし、
またトレンドラインが引けるわけでもないので、
上昇トレンドとは言えません。

突発的に急騰したあとに、落ち着いてから徐々に値が切り上がっていって、
初めてこれは上昇トレンドだといえるのです。

ちなみにトレンド相場で使うテクニカルツールは移動平均線が役立ちます。
ロウソク30本の範疇で、移動平均線に支えられて、値が切り上がっていく形であったら、
それは上昇トレンド相場であるでしょう。
なお、下降トレンド相場なら、上記を反対にしたものになります。



●レンジ相場の見抜き方


このような感じで、次は「レンジ相場」の本質も考えてみます。
レンジ(ボックス相場)は、値が一定の範囲で往来し、停滞している状態です。

それは上にレジスタンスラインと下にサポートラインの2つの水平線を
引くことができて、その範囲で往来している相場状況です。

なお、レンジではRSIのテクニカルを使うのがセオリーですが、
RSIで見れば、30%と70%の間を往来する状況になっているでしょう。

・値動きの上下に水平線(レジスタンスライン・サポートライン)が引ける
・値動きはその間に限定されている

これがレンジ相場を満たす条件=本質です。



●レンジブレイク相場の見抜き方

レンジブレイクは、レンジ相場の価格帯を突破した直後の場面です。
突破するときは当然ですがその方向に注文が殺到するために、
チャートに勢いが出ることになります。

テクニカルでレンジブレイクを見るのであれば、
相場の勢いを重視するDMIなどが役に立ちます。

その他にロウソクのサイズも勢いを見るのに重要です。
レンジのときは小動きなのでロウソクは小さいものばかりですが、
レンジをブレイクしたときは、大きなサイズのロウソクが出現して、
一気にボラティリティが拡大していくことになります。

なので、レンジブレイクは、

・今までレンジ相場を形成していた一定の価格帯を突破している
・突破した方向にレンジ相場のロウソクと比べて、
 2倍以上の大きいロウソクが目立って出現している(勢いがある)

これがレンジブレイクを満たす条件=本質です。



●乱高下相場の見抜き方


乱高下相場は、トレンド相場が突然崩れたり、レンジブレイクしたと思ったら、
反転して逆に進んでいったりなど、荒れた相場の状態です。
移動平均線を使っていれば線は大きく蛇行するし、
ボリンジャーバンドを使えば、やはりσ線が蛇行して荒れていることがわかります。

・急騰・急落を繰り返し不規則に動いている
(トレンドラインや水平線を明確に引くことができない)

これが乱高下相場を満たす条件=本質です。




さて、現状の相場の状況=本質を正確につかむことができたら、
その相場のどこで買うか売るかを考えていきます。

トレンド相場にはトレンド相場の、レンジ相場にはレンジ相場の
アプローチ方法があります。

その際には、現在の相場にいるトレーダーたちの立場をよく考えてください。
今、売り手の、または買い手の彼らが、どこで取引を行うのか?
それを考えていくことで、相場の値動きが見えてくるようになります。

上昇トレンドとはいっても、どこで買ってもいいわけではないのですね。
押し目や高値更新などの有利な状況の時に買うのが望ましいわけです。

相場の参加者が売買を考えるポイント、
現象学でいうところの中立点=妥結点こそが、
トレーダーがエントリーしたりイクジットしたりする
ポイントになっているのです。

その妥結点を見つけることが、相場を読むために最も重要な要素となるのですが、
詳しくは次号で解説します。



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# FX意識改革116 現象学的トレード思考 その2
さて、前回ご説明した現象学を応用したトレード方法を解説します。

私が提唱する現象学的トレード方法とは、
相場がこれから上がるか?下がるか?それとも動かないか?を
冷静に見抜いていくための思考方法です。

ちなみにこれは私が編み出したオリジナルな考え方であって、
何かの本に書いてあるわけではありません。
現象学的トレード方法なんていう関連書籍はありません。


さて、そのやり方は以下の順で行います。


1 先入観を排除して現在の相場を観察する

2 現在の相場の特徴=本質を抽出する

3 現在の相場にいる人たちの立場を考えて、
  その妥結点を引き出し、相場が上がるか下がるかを判定する


今回は1の手順について詳しくご説明します。

繰り返しますが、
現象学は対象となる物体エックスの本質を見抜くテクニックです。

トレードの対象となる物体エックスとは、相場のことであり、
具体的には相場を図式化したチャートになります。

そのためには、前回リンゴやドラえもんの例で説明したように、
まずは対象、すなわち見ているチャートを冷静に観察することが必要です。

そのためには「先入観」を完全に排除して、頭をからっぽにして、
はじめてそれを見た気持ちになってチャートを観察するということです。

それを現象学ではエポケー(判断停止)と呼び、
本質を見抜くための重要な思考工程になります。
物体エックスがなんであるのかを一旦忘れて、その特徴を見ていくのですね。

・・・と、簡単に言いましたが、
先入観を排除する=エポケーすることは、
日ごろから意識していなければできないことなのです。


というのも先入観=自分の欲望だからです


自分が見ているすべての物体エックス(現象)は、
自分の欲によって、都合よく姿を変えてしまっている、
自分の欲が求める姿に化けているのです!


自分の欲のせいで物体エックスの本質が隠れてしまっているのですね。
そこからすべての誤解が生まれます。

たとえば他人がどんな人なのかを判断するときに、
自分がその人の本性、本質をつかめているのはとても稀なことです。
それが良く知る家族や友人であってもです。

なぜならば、自分の欲望を交えて人を判断しているからです

もし自分の心の中に「優しい恋人が欲しい」という欲望があれば、
それはあなたが目にする異性に、その欲望が投影されてしまっているのです。
いわば目にする異性に対して「優しさ補正」がかかっています。

好みの外見をしていれば、あとは誤解のオンパレードが始まるでしょう。
その人の一挙一動を見て、
本当はそうじゃないのに優しい人なんだと思えてくるようになるのです。

たとえば気になる異性の人と一緒に電車で座っていたときに、
その人がお年寄りに席を譲る行為を見せたら、
とても優しい人なんだなと思うはずです。

しかし、席を譲った本当の理由がこうだったとしたらどうでしょうか?

実はお気に入りの靴を履いていて踏まれたら汚れてしまうのが嫌だと思っていた。
目の前で電車の揺れに耐えられずにフラフラとしている
おばあさんに足を踏まれそうだったので、
すぐに座席を立ち開いているスペースに行こうと考えた。

実は他人を思いやって席を譲ったわけではなかったのです。
むしろ目の前のおばあさんをウザがっていた利己的な人でした。

しかし、あなたに「優しい恋人が欲しい」という欲望があれば、
それは他人に席を譲った優しい行為に見えてくるのでしょう。
現実が欲望によって捻じ曲げられてしまっていたのです。



もっと簡単な例を挙げましょう。

あなたは仕事で出張をしていて見知らぬ土地に来ていました。
もう夕方になり、朝から忙しく食事をとっておらずお腹がぺこぺこです。

当然ながら「美味しいものを食べてお腹を満たしたい」と思っています。
繁華街を歩くと中華、和食、イタリアン・・・どのお店の看板を見ても
立派な作りで、どれも店構えからして美味しそうです。

あなたは悩んだすえに和風のラーメン屋にお店に入りました。
店内には洒落たジャズのBGMが流れていて落ち着きます。

これから出てくるラーメンに期待して、
メニューを広げてからそこでまた悩むのです。

「濃厚魚介だし特製ラーメン」か、あるいは
「至高の塩ラーメン」かそれとも「絶品担々麺」にしてみるか・・・
メニューは上品な作りでどれも美味しそうで悩やんでしまいます。

結局、最上級のフランス産の塩を使っている「至高の塩ラーメン」にしたのです。
値段は1000円と高かったのですが、高いから美味しいだろうと確信しました。

しかし、いざ食べてみると、なんだか味がいまいちだったのです!

あなたはたまたま店主が味付けを失敗したのかなと思って、
まあこんなこともあるかと納得したのですが、
お腹を満たしたあとで冷静に考えてみたら、
あまり美味しくはなかった。いや、むしろまずかったことに気づきます。

そもそも看板や店構えは立派だったけれど、
なぜか食事時なのに客がいなかったではないか!

そう、その店は実は一見の観光客相手にやっている店で、
地元の人が敬遠するマズイ店だったのです。

でも、なぜあのときは美味しそうに見えたのでしょうか・・・?

それはあなたに「美味しいものを食べたい」という欲望があったからです
その欲がお店の外観やメニューやラーメンすべてに投影されたからです
欲によってそれらにプラスの補正がかかったんですね

というわけで、お腹が減ったときに、
ちょっと店構えが良い店を見れば、あなたの食欲が投影しプラス補正され、
「ここは美味しいものを食べさせてくれるとこだ」と判断してしまうわけです。
つまり「欲に目がくらむ」ということです。

まあ長々とたとえ話をしなくとも、
単純にお腹が空いているときは、なんでもおいしそうに見えるはずです。
そして、食べてみて「あれ?」と思うことはよくある経験だと思います。
そして期待を裏切られたことにムカムカして、
食べログににあまり美味しくないと書いて憂さを晴らすかもしれません。

でも、そのお店を過剰評価してしまった根本的な原因は一体なんでしょうか?
それは、すべて自分の中の欲が発端になっているのです。

商売をやる企業側はそのことを良く知っているから、
商品の広告やパッケージといった「見た目」には特に気を使います。

クオリティの高い広告を作り、綺麗な店構えやメニューで商品を美しく見せれば、
あとは欲深い人が勝手に自らの色眼鏡で勘違いしてくれる、というわけです。
となれば提供するものは二の次でもなんとかなるのでしょう。
一見客しかこない観光地で商売をやるのならなおさらです。
現実の要素は1しかないのに、
あとの9は自分勝手なイメージで盛られてしまっているわけですね。


・・・というように、
つまり私たちは日ごろから欲望の色眼鏡をかけているのです。

それはピンクの色がついた派手なドギツイ眼鏡をイメージしてください。
それをいつもかけている。だからいつも本当の姿が歪んで見えているのです。
現象学はこの欲望の色眼鏡を外して、裸眼でモノを見て本質をつかむ技なのです。



さて、我々もトレードする際には、今の話と同じことが起こっていますよね?

トレーダーには強烈な欲があります
どういう欲かといえば、それは「儲けたい」という欲です

「儲けたい」という欲望を持っていれば、
それは美味しそうな話には食いつきやすくなるでしょう。

さっきの食事の話でメニューがどれも美味しそうに見えたように、
いろんな金融商品を目にすれば、どれも簡単に儲けられそうに思えてくるはずです。

そうなれば異性を求める際にあばたもえくぼ状態になったように、
未公開株譲渡などの危険な投資話にも簡単に引っかかるようにもなるでしょう。

そして、デイトレーダーが「儲けたい」という欲を抱えたまま、
チャートを見れば、それは全部「儲けさせてくれる」チャートに見えるはずです
すでに欲によるプラス補正がかかって本当の姿が見えていないのです


するとどうなるかといえば、こうなります。

パソコンを起動してチャートを開いたとき、
あなたの心はすでに「早く儲けたい」という欲望で満たされています。
釣り人が釣り場に付き早く釣り糸を垂らそうと心がせくのと同じ原理です。

チャートは、どんどん上がって行きそうに見えるので急い飛び乗ります。
絶対に儲かるように思えるのでレバレッジはフルに効かせます。

しかし、自分が買った途端に相場がズルズルと落ちてきます。
でも、きっとすぐに上がるに違いないと思って損切せずにホールドします。
しかし、反対に急落していって、大きな含み損になってしまいました。

冷静にあとでチャートを振り返ると、ハッキリとしたレジスタンスに当たっていて、
こんなところで飛び乗るのは遅すぎることがわかりました。
なぜあんなに急いで買ってしまったのかと後悔をします。

その答えは自分に「儲けたい」という欲があったからです。
だから事実を捻じ曲げ、正当化して、すぐに上がると信じたのです。
この「儲けたい」という欲がある限り、これから先も
何度もチャートを見間違えて同じことをやらかしてしまうでしょう。


ちなみにチャートに投影されるのは「欲望」だけではありません。
「恐怖」を抱いていたら、それは暴落しそうなチャートに見えてきます。
そうすれば、あたふたして狼狽売りをしてしまうはずです。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の諺でわかるように
自分の心理状態が、目の前の現象に投影されているということです。
自分が不機嫌なときに、他人を見れば怒っているように見えています。
するとその人の行為が自分を攻撃しているかのように思えるでしょう。

トレードも自分の心理状態がチャートに投影されるのです

欲望があれば、常に大儲けさせてくれそうなチャートに見えるし、
恐怖があれば、常にひどい目にあいそうなチャートに見えるし、
怒りがあれば、常にダマシの値動きで自分を攻撃するチャートに見えてきます。

というわけです。

つまり、相場やチャートというのは「自分の心を写した鏡」なのです

判断を間違える原因は、これらの色眼鏡がかかっているせいです。
だから、まずはその色眼鏡を外して素直な心でチャートを見ることが肝要なのです。


今回はチャートを観察する前提の話で長くなってしまったので、
具体的にチャートをどう観察して判断していくか、その続きは次回にしたいと思います。

けれども今回話したことは、トレードにおいて一番重要なエッセンスです。

トレードで勝てない人は、チャートを素直に見ることができていません。
それは、自分の欲望がチャートに反映されていることに気づいていないからです。

先入観なしで物事を観察し判断することは、
自分の欲を排除してモノを見ることです

その色眼鏡を外して裸眼で物事を見ることの大事さがわかって頂けたと思います。

それは日常生活でも真贋を見抜く現象学の技術であり、
きっとあなたの人生を豊かにしてくれることでしょう。



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# FX意識改革115 現象学的トレード思考 その1
トレードで役立つ哲学の話を続けます。

今回のお題は「現象学」です

「現象学」は1900年前後に活躍した
オーストリアの哲学者フッサールが提唱した概念です。
ちなみに有名な哲学者のハイデガーはフッサールの弟子です。

現象学を一言でいえば「物事における普遍的な本質を見抜く方法」です

「学」とついているので学問のような体系的なイメージがありますが、
学問の問のほう「問い」をイメージしたほうがいいでしょう。
すなわち「目の前の現象を問う方法」です。

なぜ現象学が生まれたのか?

フッサールが生きた時代は産業革命や第一次世界大戦の最中にあり、
民衆の生活基盤が激変し、いままでの価値観が崩れていきました。
神の権威は失墜し、民衆は何が嘘か真か、
何を信じればいいのかわからなくなっていた。
まさに混迷の時代です。

それは哲学が発祥した古代ギリシア時代と良く似てもいたのです。

古代ギリシア時代は、前半はギリシア神話に代表されるように
物事には神によって決まった価値観や真理があるとされていました。
人々はみんなひとつの真理を信じて一丸になっていたのです。
だからポリスと呼ばれる都市国家群を何百年もの間保持できたのでしょう。

しかし、次第に人々の間で権力争いが強くなると、
政治家たちは、ライバルを出し抜くために、
その真理や価値を自分の都合ひとつで曲げるようになったのです。

政治家に弁論術を教える者(ソフィスト)がはこび入り、
詭弁を弄して舌先三寸でモノの価値を持ち上げたり貶めたりしていたのです。

その黒を白にする哲学の技を「相対主義」といいます。

相対主義は「物事に真理はない、その価値を定めるのは人それぞれだ」
というような考え方です

しかし、人それぞれの考えが中心の世の中になったら、
人と人の繋がり、絆なんていうものは芽生えるはずもなく、
他人とわかりあうことなんてできないと思いませんか?

それは個人個人が自分勝手に、自分の欲望のままに生きる世の中です。
それでは他国の脅威を跳ね返す強い国家など成り立つはずがありません。

これを憂えた哲学者のソクラテスと弟子のプラトンは、
相対主義への対抗策として「イデア」という概念を作り出します。

これはたとえば円を書こうとすると、誰も完璧な円を書くことはできない。
でも、みんなが完璧な円を頭の中にイメージすることはできる。
なんでそんなことができるのかといえば、
「イデア界」なる所に真実の円が存在しており、
同じものをみんなが見ているからというわけです。

現実では相対主義により物事の真贋がわからなくなっているが、
人間は万人に共通するイデア界を頭に浮かべることができるので、
いつでも物事の普遍的な真理を知ることができるのだと唱えたのです。

このイデア論はインパクトがありました。
ソクラテスはイデア論を通じて、
では、「善」とは一体何か?「徳」とは一体何か?と
全員が頷くことができる真理を説いていったのです。
それは新たな民主主義の幕開けでもありました。


さて、時代は繰り返します・・・

フッサールの時代も冒頭で述べたように
物事の価値観が崩れ、また相対主義が強くなっていました。
そのころはなにせ実存主義の台頭によって
「自分の人生を自由に決めよう!」という考えが強まった時代です。
物事の普遍的な真理やルールなんてものは消し飛ぼうとしていました。

これではいけないと、物事の真理を復権させるために
フッサールはソクラテスのイデア論と似たような方法で、
「現象学」という新たな概念を作り出したのです。

現象学というのは、魔法の眼鏡のようなものです。

この眼鏡をかければ、すべての物事の真理がわかるようになる。
現象学によって嘘を見抜き、真実=本質を知る。
そうすれば人は団結するようになり、迷わなくなるはずだと考えたのです。


私たちの現代も、似たような危機を抱えていると思いませんか?

現代も「物事の価値観や考え方など人それぞれだよ」
という個人主義や相対主義が蔓延しています。
最近その風潮はかなり強まっているといっていいでしょう。

一見すると個人を尊重する素晴らしい考え方に思えますが、
それは個と他を断絶するとてもドライな考え方でもあります。
相対主義を使って自ら人との深いかかわりあいを断ち切り、
自分の殻の中へと逃げているといえなくもありません。

人との価値観の違いを放置しておけば、
それは人との関係が希薄になり、信頼や絆などは生まれようがなく、
結果的に愛や共感が得られない息苦しい世の中になっているはずです。

「人それぞれだ」という相対主義は、
居心地はいいかもしれませんが、それは孤独を生み出す元となり、
真綿でじわじわと首を絞めているようなものかもしれません。

今は実際そんな世の中ではないのでしょうか?

人と人の絆を取り戻すためにも、
再び「現象学」が脚光を浴びる時が来ていると、私は思います。


さて、そのように素晴らしい現象学ですが、残念なことに非常に難解です。
フッサールの原書やウィキペディアを読んでも、難解な用語ばかりが並んで、
何がなんだか意味が分からないと思います。

なので、現象学にまつわる学術的な話は置いておき、
現象学とはどうやるのか、一体それが普段の生活で何の役に立つのか?
というエッセンスだけ抽出して私がわかりやすくご説明します。


まず前提として、

現象学は「対象から万人にとって共通する本質を取り出すテクニック」である

ということを覚えておいてください。

これはテーブルの上にあるリンゴで説明しましょう。

テーブルの上に「リンゴ」があります。
あなたは一目見て、それは「リンゴ」であると確信をします。

しかし、よく考えるとそれはとてもおかしな話ですよね?
だって、あなたは向かいの席からテーブルの上の「リンゴ」を一瞥しただけにすぎません。

あなたは「リンゴ」と思われる物体の前面、前半分しか見ていないのです。
もしかしたら裏に回り込むと「リンゴ」は張りぼてになっていて、
精巧な絵で作られているかもしれません。
もしかしたら二つに割ってみたら卵の黄身のような謎の物体が出てくるかもしれません。

そうした可能性があるのにも拘わらず、
あなたは何一つ疑いもなくそれを「リンゴ」であると確信したのです。

つまり、私たちは、常日頃、目にした物体エックスの一部だけを見て、
シルエットクイズに答えるように、それがなんであるかを判断しているわけですね

とすれば、何をもって、その物体エックスを「リンゴ」と判断しているのか?
そこにはリンゴと認識するに足るパーツ・要素=「本質」が存在しているはずです


その本質を取り出す方法を「現象学的還元」(以下還元)といいます。

そのやり方は簡単です。

対象の物体エックスを観察し、外見的な特徴や、
今まで経験していることからの内面的な特徴を取り出します。

この物体エックスを見た時の外見的な特徴は・・・
「赤くて、まるくて、つやつやしている」でした。

この物体エックスについてあなたが知る内面的な特徴・・・
「食べると甘酸っぱくて、サクサクして美味しい」でした。

つまり、あなたは

「赤くて、まるくて、つやつやしている」
「食べると甘酸っぱくて、サクサクして美味しい」

というものが「リンゴ」であると認識しているわけです。
これが「リンゴ」の本質です。

そして、それに該当する物体エックスが、
表面しか見えていないが、今テーブルの上にある。

それを過去の経験データから照らし合わせて、
あなたは、これは「リンゴ」であると、判断したわけです。



では、もっとわかりやすいところで、
「ドラえもん」を現象学的に還元してみましょう。

この物体エックスの外見的な特徴は・・・

青い、まるい、猫の形をしているが、耳がない。
お腹にポケットがある。ロボットである。

この物体エックスについてあなたが知る内面的な特徴は・・・

いろいろな道具を使って困っている人を助けてくれる、
家に居候している、未来から来た、ネズミに弱い、どら焼きが好き。

これが物体エックスを構成している要素であり、また本質です。

それに合うものを見たときに
「あ、これドラえもんじゃん!」と判断することになるわけです。

まあ、こうしてみれば現象学とは
「この条件を満たすのはなーんだ?」というクイズです。
人気携帯アプリのアキネーターっぽいところがありますね。
そのクイズの問題部分こそが物事の「本質」であるということなのです。
それを対象への観察と経験から抽出していくわけです。


この調子で、次はちょっと難しい「美人」を現象学的に還元してみます。

実はリンゴのような固有名詞があるものは、
還元後は辞書に書いてある内容と同じになります。
そういうものに現象学を使うのはあまり意味がありません。

ここが現象学を理解するための重要なポイントですが、
現象学は「人によって意見が異なるものに対して使う」のです
そこから共通的な本質を取り出すことにこそ現象学の神髄があるのです

さて「美人」の定義は人それぞれ違うでしょう。
とりあえず美人をイメージして、そこから現象学的還元を行います。

その外面的な特徴は・・・

目が大きい、鼻が高い、足が長い、髪が美しい、
背が高い、胸が大きい、ウエストが細い、
声が綺麗、姿勢が綺麗、歩き方が美しい・・・

その内面的な特徴は・・・

教養がある、性格が優しい、思いやりがある、品がある・・・


還元後はこのようなキーワードが出てくるはずです。
それがあなたにとっての美人を構成するキーワード群(本質)です。

このキーワードに当てはまる人物を見かけたとき、
あなたはそれを「美人」であると認識しているのです。
つまり、それはあなたにとっての「美人」の定義でもあります

もちろん、人により何を持って「美人」とするかは違うでしょう。

たとえば「太っている」を「美人」の要素とするマニアックな人もいるはずです。
しかし、それは100人に「美人を構成する要素とは何か?」を聞いて、
統計していけば、きっと少数派になるはずです。
まあ一人か二人かであり、
標準偏差の山形のグラフにすれば、間違いなく端の2σにある要素でしょう。

太っているが「美人」のストライク(本質)であったら、
モデルはみんな太っているはずですし、ダイエットも流行るはずがありません。
だから、「痩せている」こそが美人の本質です。

こうして、アンケートのように該当するキーワードが多い項目を調べ、
統計的に標準偏差の山形の中央部分を見ていくことで、
多数が「美人」であると判断している本質が浮かび上がってきます。

その本質とは、おそらく端正な顔立ちで痩せていて胸が大きくウエストが細く、
かつ頭が良くて優しいという才色兼備というものでしょう。

まさにミスワールドみたいな女性が、大多数の共通項であるはずです。
それは「自分の好みとはちょっと違うけれども、まあ美人には違いない」
というような妥協したようなものにはなるでしょう。

でもそれでいいのです。

万人が頷ける「妥結点」を見出すことが現象学の目的だからです


で、これが一体何の役にたつのか?といえば、コミュニケーションに役立つのですね。
美人について話すときに、共通項があれば話しが通じやすくなるはずです。

還元によって、美人の妥結点を引き出すことができていれば、
大勢の人と美人についての話ができるはずです。

「あの人、美人じゃない?」と尋ねて「うん、そう思う」となれば、
お前話がわかるなと、すぐに他人と共感することができるのです。

また、あなたが女性であるのならば、この美人の本質を手に入れさえすれば、
簡単にモテルようにもなるでしょう。

だから、物事のストライク(本質)を押さえておくことは、
人間関係を円滑にするのに役立ちます。
ビジネスにおける商品開発においても本質をつかんでおきさえすれば、
需要者(客)と供給者(企業)のズレをなくすことができるはずです。


さらに考えを進めていきましょう。

人によって意見がもめるようなもの、
たとえば「政治」や「国」や「宗教」についても還元が可能です。

政治とか国とか宗教の話って人によってイデオロギーが異なり、とにかくもめますよね。
しかし、あなたが美人の還元で説明したように、
そこから全員が妥結できる本質を取り出すことができれば、
いろいろな考えの方とコミュニケーションが取れるようになるはずです。

また「健康」とか「死」とか「後悔」とか「失恋」など身近な悩みでもいいでしょう。
これも還元して本質を取り出せば、中立的な視点に立てるはずです。
そうすれば、いろいろな人の心がわかるようになるはずです。

それって素晴らしいことだと思いませんか?
それこそが現象学を学ぶ意義なのです。


さて、現象学とはなんなのかがわかったところで、ここからが本題です。

現象学はすべての物事において使える技術なのです。
当然、経済学やトレードにも応用可能です。

すなわち目の前にある物体エックスである「相場」を現象学的に還元し、
その本質を取り出せば、相場にいる人たちの考えがわかるようになる
すると、これから上がるのか下がるのかが見えてくるのです

だとすれば、これはとても魅力的なことだと思いませんか?

その「現象学的トレード」の方法について次回解説したいと思います。


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| - | - | 12:25 | category: FX意識改革(メルマガ転載) |
# FX意識改革114 トレーダーは観念論と実在論どちらの立場でいるべきか?
隔週でトレードに役立つ哲学の話を続けています。

今回のテーマは「認識論」です


哲学の分野では「認識論」という一大テーマがあって、
古代ギリシャの時代から現代まで受け継がれています。
「認識論」は、存在しているモノの真理をどう認識するかという思想です。


よくある認識論の命題は、テーブルにリンゴを置いて、

「このリンゴは、ここに存在しているか否か?」

という問いです。

哲学を意識していない人は、この当たり前の問いをいぶかしがります。
「こうして見て触れるのだからここにリンゴはあるでしょう!」と思うわけです。

しかし、哲学的には、
果たして、このリンゴが本当に存在するかどうかはわかりません。


このリンゴが存在するか否かを考える材料として、
1700年代のアイルランド哲学者バークリーの言葉を引用しましょう。

彼は「存在することは知覚されることである」と言いました

裏を返せば、自分が知覚(認識)していないものは、
そこに存在していないということです

あなたがリンゴがあると思えば、それはあるし、
ないと思えば、それはないのです
このような考えを「観念論」といいます

そんな馬鹿な!?と思うかもしれませんが、
日常におけるこういうシーンを思い浮かべれば、なんとなく頷けると思います。

いつもは車で素通りする通勤路を休日にじっくりと歩いてみようと思った。
テレビでやっている散歩の番組みたいにぶらぶらとゆっくり歩いていたら、
「あれ?こんなところにしゃれたカフェがあったのか」と初めて気づく。

そういうことって頻繁にありますよね。

車で通勤しているときは、自分はそのカフェを認識できていなかった。
ということは、このカフェは自分の世界では存在していなかったと同じなのです。


あるいは遠いアフリカでは、今も食糧不足で困っている人がたくさんいます。
それなのに私たちは毎日おいしいものを食べる贅沢な暮らしをしています。
けれどもそれについてあまり心は痛まないというのが実際のところでしょう。

なぜかといえば、
それはアフリカで困っている人たちを自分が認識していないからです。
となればアフリカで困っている人たちは存在していないのと同じです。
だから心は痛まないということです。

ぼんやりと認識すれば少しは心が痛み、
しっかりと認識していれば非常に心は痛むでしょう。
認識するにつれて、影が実体となって表れて存在が確固なものとなるからです。

もしかしたらこの宇宙のどこかに人間と瓜二つの知的生命体がいて、
その星ではとんでもないホロコーストが起こっているかもしれません。
しかし、私たちはそれを認識できていないのだから、
それは存在していないのと同じであり、その事件について心はまるで痛まないのです。


宇宙の話になりましたが、実際に、宇宙には人間が認識していないために、
存在していないとされているものがたくさんあります。

たとえば宇宙の大部分は暗黒物質と呼ばれる謎の構成物でできているそうですが、
それをまだ人間は認識できていないため、その存在を確認できていません。

つい先日もいまさら、
太陽系を回る新しい惑星があるかもしれないというニュースが世界中を駆け巡りました。
それは地球の質量の10倍はあり、太陽を1万年〜2万年かけて回るそうです。

もしかしたら太陽系には惑星が10個、いや100個あってもなんら不思議ではないのです。
しかし、現在の私たちはそれを認識できていない。
だから、私たちにとってはそれは存在していないのと同じであるといえるでしょう。

この先、人類が進化して脳が大きくなりもっと多くのものを認識できるようになったら、
見えないものがどんどん見えるようになり宇宙はまるで別の姿に変わっていくはずです。


ここまで話せば「ここにリンゴは、存在するか否か?」というのは、
単純な話ではなく、とても深い命題だということがわかるでしょう。

バークリー流にその問いに答えれば、

自分がこれは「リンゴ」であると、認識をすれば、それは確かに存在する
反対に認識していない場合は、それは存在していないのと同じである

ということなのです。さらに詳しく説明しましょう。


たとえばリンゴに見向きもしない生物がいますよね?

リンゴを食べない魚から見たらリンゴなんてものは存在していません。
それが川を流れてきても、魚は知らんぷりでしょう。
魚からみたらリンゴなど存在していないのと同じです。

と、考えると、つまり私たちが存在していると思っているものは、
ただ人間が考えていることに過ぎないのです。

つまり、それが存在するというのは、ここが大事なポイントですが、
それについて自分が「何らかの興味や価値を見出している」ということなのです

自分にとって価値のないモノや人というのは、実際、影が薄いはずです。
それは、存在していないといってもいいでしょう。

卒業アルバムの写真を見ると、
「あれ? こんなクラスメイトいただろうか?」と思うことがありませんか?

その場合は自分にとって、その人は興味の対象ではなかったのです。
もっと残酷に言えば、自分にとって何の価値も見いだせない人であった。
だから認識できておらず、自分にとってその人は存在していないのと同じだったのです。



今まで私は、わざわざ、存在していないのと「同じである」
というあえて断定を避けた言い回しをしてきました。


今までの私の話を聞いて、あなたはこう思っているかもしれませんね。

自分では「それ」を認識しておらず、
そのため自分の中では「それ」が存在していなかったとしても、
「それ」は自分が認識できていないだけであって、
現実的には「それ」はちゃんと存在はしているんじゃないのか?

と。はい、私もそう思います。
これを「実在論」と呼び観念論の対義語でもあります。
哲学を意識していない人はこの考えであるでしょう。

さきほどの通勤中に見逃していたカフェの話では、
カフェは前からずっと存在していたのです。
いつも営業を続けていて、そのカフェを好きな人もたくさんいました。
ただ、自分が認識できていなかっただけなのです。
自分がこの世界にいなくても、そこにカフェはあったはずです。

クラスメイトにしても、実際にちゃんといたはずなのです。
ただ、その人の言動に興味が持てず、自分が認識できていなかっただけなのでしょう。



さて、そろそろこのメルマガの本題に入ろうと思います。

私は、観念論にも実在論にも両方頷けます。
そして、モノや人、あるいは何らかの存在について一歩進んでこう考えています。

自分が「それ」について興味や価値を見出していれば、
「それ」は存在している

反対に「それ」について興味や価値を見出していなければ、
自分は「それ」について認識することができず、
自分にとって「それ」は存在していないのと同じである

しかし、あくまで自分が「それ」を認識できていないだけであって、
客観的には「それ」は今もちゃんと存在をしている

その場合は「それ」を意識せざるを得ない出来事が起こった時、
「それ」が自分の世界に初めて姿を現すことになる


前半はすでに説明したことですが、
後半の「それ」を意識せざるを得ない出来事が起こった時というのは、
一体どういうことでしょうか?

たとえば歩いていて石に躓いて転んでしまったという「事故」です。

この事故の原因は、その石を認識できていなかったからです。
ぶつかる瞬間までは、その石は前からそこにあったけれども、
自分の世界の中ではあくまで存在はしていなかった。
だから自分はその石が見えておらずに躓いたのです。

しかし、躓いた瞬間、その石は、自分の世界の中に突然姿を現します。
転んだ痛みと共に「ああ!この石に躓いたのか!」と、
躓いた石をいやがおうにも意識=認識することになるからです。
こうなってはじめてその石がここに存在しているのだと言えるのです。
事故が起こらなければ、その石を気に留めることはなく、
今後もその人にとってその石は存在していなかったでしょう。


さて、ここで相場についても考えてみましょう。
相場でもこの石のような、やっかいなものが客観的に存在しています。

ずっと前から「それ」が存在しているのにも関わらずに、
「それ」が存在していないと考えている人たちが大勢います。
なぜならば「それ」について認識できていないからです。

負けているトレーダーのほとんどは、普段の生活では、
実在論者(自分の考えに関係なく世界は存在している)であるのに、
なぜかトレード中は観念論者(自分の考えにより世界が存在している)
になってしまっているわけです。

はてさて相場における「それ」とは、一体なんのことでしょうか?
文を追う目を止めてちょっと考えてみてください。




つまり「それ」とは、「リスク」のことです

と言えば、今までふわふわと聞こえていた哲学の話が、
ピン!ときて、相場とつながったのではないでしょうか?

そう、ほとんどのトレーダーは、相場にある
無数の事故を誘発する石「リスク」を認識していません。
彼らの世界の中では「リスク」は存在していない(のと同じ)です。

だから、彼らはいつでもピクニック気分で、
能天気にレバレッジを最大まで上げて、損切はしないのです。
なぜならば、彼らの世界の中では「リスク」は存在していないからです。

しかし、突然相場が大変動して、
大きな含み損になったりロスカットしたりする事故が起こると、
彼らは「リスク」についていやがおうにも認識せざるを得なくなります。
そのとき初めて、地雷原の中をピクニック気分で歩いていた愚かな自分に気付くのです。


さて、トレードするときにあなたの世界には、
「リスク」は存在しているでしょうか?

それはあなたがストップ(損切)を置いているかどうかで簡単にわかります。

ストップを置いてなければ、あなたは「リスク」について認識していない
認識していないのであれば「リスク」は存在していないのと同じです

しかし「リスク」はあなたに見えていないだけであって、
今も確かにそこにずっと前からちゃんと存在はしているのです。

そして、残念なことに私たちはどれだけ注意を払っても、
相場に存在する「リスク」をすべて認識することはできません。
人間の目に見えない「リスク」は無数にあるのです。


先の東日本大震災では、
人間の「リスク」に対する認識力が貧弱であることが露呈しました。

そもそも私たち人間は「リスク」を認識することが難しいのです。
それは単純に「リスク」に価値を見出せないからです。

「リスク」はとても嫌なことです。
できれば、見たくない。向き合いたくない。認識したくない。
だから、主観的には存在していないのです。

しかし、それでは確実にいつか事故は起こります。
相場においても「リスク」は必ず存在すると考えて、
まず認識しやすいリスクについては、ちゃんと対処しましょう。

具体的には相場の変動に備えてストップを置く、レバレッジを抑える、
金利政策発表などの超重要な指標の前にはポジションを取らないなどです。

その上で自分が認識できない「リスク」があることも考慮して、
身を守るための最終防衛ラインというものを用意しておきましょう。

実際に相場が大変動すると、業者にログインができなくなり、
その間、損切やロスカットも働かない最悪の事態が起こる可能性があります。
もっと酷いことも起こるかもしれません。

こうした認識できない「リスク」に備える手段としては、
よく言われていることですが、
失くしてもいい余剰資金でトレードをやるということです。


自分の世界には、果たして「リスク」が存在しているか?

存在していなければ、リスク管理はしないでしょう。
あなたがリスク管理をしない、あるいはできないのであれば、
それは「リスク」をキチンと認識していないということなのです。

日常でも相場でも
観念論の立場では、すべては見えてこない
実在論の立場に立って、目を凝らす必要があります

トレードを上手くやるためにも、それをもう一度よく考えてみてください。



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| - | - | 09:40 | category: FX意識改革(メルマガ転載) |
# FX意識改革113 構造主義を意識したトレードの環境調整
今のメルマガのテーマであるトレードに役立つ「哲学」の話を続けましょう。


今回のお題は「構造主義」です

皆さんも聞いたことがあると思いますが、ウィキペディアなどを読んでも、
「構造主義」がなんであるのかは難解で、とてもわかりにくいと思います。
いろいろと教えられることが多いこの哲学を私なりの超解釈でご説明しましょう。


哲学の歴史では、1960〜70年代に「構造主義」がブームになりました。

構造主義以前はサルトルらが提唱していた
「実存主義」が哲学のメインストリームでした。
平たく言えば実存主義というのは、人間そのものにスポットライトを当てた哲学です。

その頃の世の中はニーチェが「神は死んだ」と宣言し、
神も仏もない世の中でがんばっても仕方ないといった厭世感があふれた時代でした。

しかし、どうせ何をやっても無駄だというニヒルな生き方では、
結局死ぬときは「自分の人生は一体なんだったんだろう?」と後悔するだけになります。

確かにこの世は無意味なのでしょう。

宇宙全体から見たら人間なんて取るに足らない存在です。
誰も自分のことを注目してはいません。

でも、それならそれで、いいではないですか。
こうやりなさいという神様がいないのであれば、
自分で勝手に生きる目的を決めてしまえばいいわけです。
自分が信じることを精一杯やればいいわけです。

実存主義の旗手のサルトルはそのように唱えて、
そのポジティブかつ主観的な哲学が大衆に受け入られたのですね。

ちなみに本屋にズラリと並ぶ自己啓発書の元ネタはみんな実存主義です。
「自分の力で人生切り開こうよ!」が、テーマですから、
実存主義は現代でも人気の哲学なのです。



しかし、そんな一見とても良さそうな、
まさにこれこそが人間が目指すべき真理ではないか!
と思える実存主義を見事なやり方で批判する哲学が現れます。

それが構造主義です。

実存主義をどう批判したかというと、概ねこのように批判したわけです。

自分で自分の人生を決めるだって?
果たしてそんなことが本当にできるのだろうか?

そもそも自分の考えというのは、本当にあると言えるのか?
それは、実は誰かに操られた考えではないのか?

私たちには元々主体などはなくて、
周りの環境(構造)によって、意志を操られているのではないだろうか?
周りの環境(構造)がそのようになっているから、
自分もそのように考えているだけではないのか?

だとしたら、誰も自分らしく(実存主義的に)
生きるなんてことはできないだろう。


実存主義が人間という「個」にスポットライトを当てているとしたら、
構造主義はその人間を操る背後の「システム」にスポットライトを当てた哲学です。
つまり、個はシステムに操られているだけだというドライな考えが構造主義です。

この斬新な構造主義を唱えたのは社会人類学者のレヴィ=ストロースでした。
彼は世界中の未開部族を調査していく中で、ある奇妙なことに気づいたのです。

部族間にまったく交流がなかったにもかかわらず、
どこの部族にも女性を他の部族に嫁に出す
「交叉いとこ婚」と呼ばれる結婚の習慣がありました。

世界中に散らばる未開部族が皆そろって同じこのルールを採用していたのは、
何か別の意味、すなわち目に見えないルール(構造)があって、
その意志に人間が支配されているからではないのか? と、考えたわけですね。

つまり、人間の背後にある法則。それを解き明かそうというのが構造主義です。
それは言語学の解析から始まり、芸術や政治など様々な分野に波及しました。

例えば文芸での構造主義解釈では、ウラジミール・プロップが書いた
「昔話の形態学」という書があります。

これはロシアの昔話のストーリーのパターンを分析した書物です。
主人公が敵を討つ、主人公が放浪する、主人公が駆け落ちするなど、
物語のパターンを分析し、そこには何らかの法則があるのではないか?を探った本です。
このような感じで構造主義はあらゆる分野でブームになりました。


ただ、そのあとポスト構造主義の哲学者といわわれる
ウィトゲンシュタインやデリダなどが出て来て

「そんなのをやったところで無駄だ。
 構造自体には深い意味はないし、その構造は強固すぎて崩すこともできない」

という感じで構造主義を批判したことで、そのブームは下火になりました。
確かに、すべての物語を分析したところで、
なんとなく、こういう話が読者にウケるんだなというのはわかるわけですが、
それを知ったからといって、作家がヒット作を連発できるわけでもないのです。


とはいえ、構造主義は現在でも鋭い観点を持っていると思います。
今もどっぷりと構造主義的な世の中であることには、なんら変わりありません。
日々のニュースはすべて構造的な社会問題を抱えています。

つい先日、碓氷峠のバスの事故で15人が死亡する痛ましい事故がありました。
あの事故の直接の原因は運転手のミスかもしれませんが、
その背景には、旅行会社からの厳しいコストダウンや、
バス業界の安い賃金による人手不足などがあったことは確実です。
さらにその背景には政府の安易な規制緩和が原因であったはずです。

つまり、事故を起こす「構造」が背後にあり、
事故が起こったのは偶然ではなく、必然だったのです。
その複雑に絡み合い、積み重なった構造を解体しない限り、
同様の事故はこれからも間違いなく起こるでしょう。

ただ、前述のようにその事故を起こす構造的な関係はとても強固なものであり、
残念ながらそれを知ったところで解体はできないかもしれません。
法律をいくら変えたとしても、また似たような別の構造が出現するものです。



さて、この構造主義の考えを自分の生活に応用してみましょう。

今生活しているあなたの背後には、どんな「構造」があるでしょうか?
そして、自分はその構造に知らずのうちにハメ込まれていないか?
それに操られていないかを考えることはとても大切なことです。

私たちはみんな「自分の意志で人生を自由に決められる」と思っていますが、
果たして本当にそうでしょうか?

自分自身で決めた人生。それは、国の考えや親の考えや時代背景などの
自分の背後の「構造」によって、決められた人生かもしれません。
それらの構造に意志を操られている可能性を否定することはできません。


たとえば大衆的な結婚観。

結婚相手は、大手企業の正社員で、役職は課長以上で、収入は多くて、
親の介護の負担が少ない次男がいいとよくいいますが、
それは本当の自分の考えとはいえないでしょう。

まさに背後の社会や時代背景の構造に操られた考えであるはずです。
貯金などなくても暮らせる福祉や教育が超充実した別の社会構造を持つ
北欧に住んでいたら、まったく別の考えを持ったはずです。

また、自分が今の境遇にいるのは、
実は実存主義的な「自分の能力」などは些細なもので、
構造主義的な「外部の環境」による影響の方が大きいはずです。

たとえば貧困の家庭の子どもは学歴が低く、
それが原因で成人したあとは年収が低い傾向があります。
反対に裕福な家庭に生まれた子供は学歴が高く、
それが原因で年収が高い傾向が統計的にハッキリと出ています。


これだけ見ても、ある意味において人間の能力というものは平等です。
その将来のステータス的な優劣は、自己の能力ではなくて、
むしろ生い立ちの環境や周囲の人間関係などの構造的な影響が大だといえるでしょう。
裕福な家庭のほうが、レベルの高い教育を受けさせられる故に学歴が高くなるのです。
となれば人間の先天的な個々の性格や能力はさほど関係ないともいえます。

しかし、この貧困の構造というものは、知ったところで、
強固すぎて解体するのは無理というものでしょう。
いくら法律を変えても、この構造を解決するには至らないと思いますし、
少なくとも自分一人ではどうにもなりません。

だとしたら、自分が貧困の構造の中にいる場合は、いくら頑張っても仕方ない。
それはまるで時給が低いバイトを体を壊してまで、一生懸命やるようなものです。

そんなところで頑張るよりかは、別の構造の社会で暮らすほうが、
よほど現実的な対処であり、その人にとっても幸せなことではないでしょうか。
都市部で貧困な生活をしているとしても、物価の安い地方都市や、
あるいは外国へ行けば裕福になれるケースもあります。


職場の人間関係が上手くいかないというのもそうです。
無理に人間関係を改善しようなんて考えるのは、たいてい徒労に終わります。
人間の考えや性格は簡単には変えられない、職場の環境構造は強固なのです。
それよりも転職して自分に合った環境を変えたほうが、
簡単に済む場合がほとんどでしょう。

自分に合った環境に調整するとは、具体的にはどういうことか?
それは、今までの友達付き合いを見直し、新たな付き合いを求めたり、
自分の力を活かせるサークルに所属したり、
自分のライフスタイルに合った仕事を見つけたりすることです。

気の合う友人がいなかった。
学校で自分が入りたい部活がなかった。
自分がやりたい仕事がなかった。

それなら自分に合ったものをもっと探すか、あるいは作りましょう。

自分で新しい構造を作り出すことは、既存の悪い構造を修正・解体するより簡単です。
自分に一歩踏み出せる勇気があるかどうかです。

そしてイビツながらも自分の手で作った構造に、人は自然に集うのです。
まるで鳥の巣箱を用意したら、そこに鳥が飛びこんでくるかのように。

多くの人は自分で考えるのが面倒だから、予め用意された構造に集まるのです。
周りの環境(構造)は、いくらでもあなたの思いつきで変えられるのです。

というわけで、今の自分の境遇がよくないのであれば、
その構造の中で必死に頑張るというのは、私はナンセンスだと思うのです。

それよりも環境を調整するのに注力すべきではないか。
自分が生きやすい環境を選ぶ、なければ作る。
そちらのほうがよっぽど建設的な対処法だと思うわけですね。

というわけで構造主義というのは、現代にも通用していて、
いろいろと教えさせられることの多い哲学であると思います。



さて、トレードの話をしましょうか。

あなたが今負けているとしたら、それは構造主義的な解釈をすれば、
トレードの環境を調整し切れていないからではないでしょうか?

つまり、あなたが負けているのは、
トレードの力量以前にトレードの環境が悪いからである。
それも最悪な環境でやっているからである。

たとえば、

・条件が不利な業者でムキになってトレードをしている
・チャートが見やすいパソコンではなくて、画面の小さなスマホでやっている
・処理速度や通信速度の遅いパソコンでやっている
・トレードに集中できない他人が近くにいる場所でやっている
・投資仲間やコンサルタントやニュースサイトに踊らされている
・少しの時間しかチャートを見られないのにスキャルをやっている
 (すばやい操作が必要なためトレード中はパソコン画面に張り付く必要がある)
・スプレッドが拡大しやすい重要指標などの危険な時間帯にポジションを取っている
・市場が活況でない停滞した時間帯に積極的にやっている
・自分の精神力ではとても扱えない金額や、失ってはいけないお金を運用している

使う業者、トレードする場所、トレードする時間、証拠金の量や質(余剰資金か否か)
自分の能力以前に、それらの周辺環境が間違っている。
そうした構造的、環境的要因によって、負けているのではないでしょうか?

負けるべき環境の中にあれば、それは負けざるを得ませんし、
その構造を解体するのは無理というものです。
たとえば使っている業者の不利性を訴えて改善を促すなんていうのは、
ほとんど徒労に終わるでしょう。

敗北の構造を呈した環境の中で過ごしていれば、
それは抗うことなどできずに形にハメられます。
必然的に負けるようにしかならないのです。

だとしたら、
トレードのスキルを上達させるよりも先に解決すべきことは、むしろ環境の調整です
トレードの勉強自体は大切ですが、自分に適したトレード環境を整えることです

具体的には優位な業者を調べて鞍替えしたり、
自分のライフスタイルやトレードスタイルに合致した環境を作ること。
トレードするにあたって、プレッシャーの少ない環境を作り出すこと。

それを改めて考えてみる必要があるでしょう。


ただし、構造主義を負けた時の言い訳につかうのはよくないです。

なんでもかんでも業者が悪いとして、業者を転々とする人がいますが、
そこはバランス感覚が必要です。

自分のトレード能力を向上させようという実存主義的なものを内に秘めて、
なおかつ構造主義的な外部の環境を適したものに合わせる努力を絶やさない。

二つの哲学のいいとこ取り。それが理想ではないでしょうか?

実存主義を利用して、自分の内を向上心を持って変えていき、
構造主義を利用して、自分の外を自分に合ったものに変える。

勝ちやすいトレードの環境を作り、トレードの練習・習得も怠らない。
つまりは、そういうことです。


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| - | - | 13:24 | category: FX意識改革(メルマガ転載) |
# FX意識改革112 「自分が嫌なトレードルールを守るための哲学 その2」
前回は私の人生哲学、ひいては相場哲学についての話をしました。

それが「守るのが嫌なルールを守るためにはどうすればいいのか?」
というトレードの命題につながってくるのです。

おさらいをしておきましょう。

「人間というのは、例外なくエゴイストである」というのが私の人間観です。


人間は本来エゴイストです。

でも、通常は人格者の「仮面」をつけています。
仮面をつけているときは、誰もが人格者のふりをしているのです。


ここでイメージしてみましょう。

あなたは宇宙人です。
地球に住む人間を観察にやってきました。

宇宙人のあなたからは、
人間はみんな「仮面」をつけているように見えます。
仮面をつけている時は、人間は温厚な人格者のふりをしています。

しかし、観察しているとたまにポロリと仮面が外れる時があります。

肩と肩がぶつかって言い争いになっている人は、
肩がぶつかった瞬間にポロリと仮面が外れてしまいました。

別れ話で喧嘩をしてるカップルも、
両方の仮面が外れて地面に転がっています。

レジの行列の最後尾で待たされてイライラしている人は、
仮面がグラグラと外れそうです。

どうやら、人間は自分が思い通りにならないことがあると、
理性の「仮面」が外れて本性のエゴイストが露わになるようです。


前回のメルマガで書いた夏目漱石作『こころ』の先生はこう言いました。

「平生はみんな善人なんです、 少なくともみんな普通の人間なんです。 
 それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです」

先生が言ったように、誰もが理性の仮面をつけているのです。
みな日常では人格者のふりをしていますが、
いざとなればその仮面が外れて利己心が露わになるのです。

人によって仮面が外れやすい、外れにくいはあるでしょうが、
「いざ」の度合いが強くなるにつれて、仮面が外れる人は増えていくのです。

この私もこうして人格者のふりをしてメルマガを書いていますが、
いざとなって仮面が外れれば、途端に醜いエゴイストに豹変します。
だから、できる限り仮面を外さないように努力しなければならないのですね。



さて、相場の世界も同じことなのです。

相場に参加しようとしているトレーダーは、
最初はみんな理性の仮面をかぶっています。

仮面をかぶっているトレーダーは、誰もが人格者ぶります。

彼らは自信をもって断言します。

「資金管理、レバレッジ、手法、利食い、損切、それらのルールを守る。
 そんなのはできて当然だ。できないやつはトレードをやる資格はない!」

と。しかし、いざ相場に飛び込んでみれば、
自分がエントリーした瞬間に逆に進んで行ったり、
指標で思いがけない変動になってあっという間に大損したり、
といった不条理なことがやまほど起こります。

すると次々と人格者ぶるトレーダーたちの仮面がポロポロと、
まるで油でも塗られているかのように外れてしまうのです。

仮面が外れたトレーダーは、途端にエゴイストの本性をむき出しにします。
するとルールを無視しためちゃくちゃなトレードをやり出すのです。

信じられないくらいに大金をかけて勝負する。
エントリーしてはいけない所でエントリーをする。
損切しなければいけない所で損切をしなくなる。

あれほど資金管理が大事だよ、ルールを守ることが肝心なんだよと、
他人に厳しく言っていたのにも関わらずに、
「いざ」となったら自分からそのルールを投げ出し、
エゴをむき出しにしたトレードをやらかしてしまう。


そんなエゴイストの本性を露わにしたトレーダーを
相場は容赦なく痛い目に遭わせて追い詰めていきます。

エゴイストの最期はどうなるかといえば、それは保身に陥ります。

かわいい自分を守るために、最後まで負けを認めなくなる。
追い詰められたエゴイストたちの末路は、徹底的な保身です。

「ルールを守らなかった自分が悪かった。どうか助けてくれ」

と相場に命乞いをするか、あるいは開き直って、

「自分はまったく悪くないんだ! 相場(あるいは業者)が悪いんだ!」

と身勝手なことを述べるようになる。そこには醜い保身しかありません。
そしてそれは理性の仮面が外れれば誰でもそうなってしまうのです。


私の元によくこんな悩みのメールが届きます。

「ルール通りやれば勝てるのに、いざトレードするとルールを守れなくなるのです。
 週末になるとルールを守れなかったことを激しく後悔します。
 そして、来週は絶対ルールを守る、無茶なことはしないと言い聞かせるのですが、
 また月曜日になるとルールを守らずにめちゃくちゃなトレードをしてしまいます。
 自分は頭がおかしいのでしょうか? それとも二重人格者なのでしょうか?」


二重人格と言えば、そうとも言えます。
エゴと理性の二重人格を持つのが人間です。

元々気持ち悪いことはやらず、気持ちよいことだけをやるのが人間です。
気持ち悪い損切をやらずに、気持ちいいトレード
(度の超えたハイレバレッジとか損切をしないとか)
をやるのが人間というものなのです。

だから、あなたが嫌なルールを守れずに、好き勝手にトレードしてしまうのは、
おかしなことではなく、むしろ当たり前です。

つまり、相場でも現実社会と同様に理性の「仮面」が外れたら負けなのです。
仮面が外れてエゴイストの本性がむき出しになったらゲームオーバーです。
だから最後まで仮面を外さないようにしなければならないのです



では、そのためにはどうすればいいのでしょうか?

それは、自分がエゴイストであることを自覚し、
そして、そんなエゴイストな自分を従わせる方法を知ることです。


前回のメルマガで、

「人間は自分が得になることしかやらない」
「人間は自分が気持ちがよくなることしかやらない」

と書きました。

つまり、エゴイストである自分にとても嫌なルールを守らせるには、

ルールを守るという行為が

「得になる」こと、または、
「気持ちがよくなる」ことだと実感できればいいのです。


さて、誰もが嫌がることをやるには、

「欲」か「快」か「恐」の動機づけが必要でしたね。


誰もが嫌がる汚いゴミ拾いをやるには、

ゴミを拾うことで、お金がもらえる(得をする)「欲」
ゴミを拾うことで、気持ちが晴れ晴れする「快」
ゴミを拾わないと、ペナルティを受ける「恐」

のいずれかの動機づけが必要だと書きました。

トレードのルールを守るというのも、
前回書いたこのゴミ拾いの理屈と同じなのです。

例えばとても生理的に嫌な「損切」というルールを守るにはどうすればいいか?
これを3つの動機づけに当てはめて考えてみましょう。


●「欲」の動機づけで、嫌な損切をする


これは自分が「得をする」ための動機づけです。

たとえば損切をするたびに損切以上のお金をもらえるとしたら、
それは誰でも進んで損切するようになるでしょう。

実は、トレード自体がそういうものなのです。
損切をすればするほど儲かるという鏡の世界が相場というものです。

トレードというのは損切がのちの勝利につながっていきます。
ピンチを凌げば必ずチャンスがくるものです。
そのトレードで勝つためのからくり、仕組みを知っていれば、
損切をすることで結果的に儲かるという、欲の動機づけができるようになります。

「損切をすれば結果的に得になる。だから、損切をする」という理屈です。

ただ、これが納得できる心理状態に持ち込むには、
トレードで勝つための仕組みを良く知らなければなりません。

なぜ損切が大切なのか、なぜ損切をするとあとあとで得をするのか?
それについて理解しないとこの動機づけはできないし、
実際に損切をしながら勝つ体験を積み重ねていく必要もあります。
そのあたりは私の教材とトレードのビデオを参考にしてください。


●「快」の動機づけで、嫌な損切をする


これは自分が「気持ちよくなる」ための動機づけです。

損切をすること自体が、精神的に気持ちいいものにする。
それはなんだかSMのような倒錯感覚のようですが、
つまり「規律を守る気持ちよさを知る」ということです。

ストイックな辛い行為を「気持ちいい」と感じられるときってあるでしょう?

例えば小学生時代の宿題は、多くの人にとって嫌なものであったはずです。

でも、計画通りに宿題を終わらせることができると、
精神的にスッキリして気持ちよくなれましたよね?

同様に早寝早起きも最初は嫌だけれど、
毎日我慢してやっていれば、
だんだん規則を守ること自体が「気持ちいい」と感じられるようになります。

そうすれば、今度は規律を破るのが気持ち悪いと思える
逆転の心理現象が起きるのです。

いつも帰宅後に宿題をやっている。
そのリズムを崩すのが気持ち悪いから、今日も宿題はすぐにやる。

いつも早寝早起きをしている。
そのリズムを崩すのが気持ち悪いから、今日も早く寝る。

トレードもルール自体は嫌なことばかりです。
でもそれをキッチリ毎日守って習慣化していくと、
規律を守るという行為自体に「快」感が芽生えるのですね。

それが実感できれば、
「今日もルール通り、損切ができた。気持ちがいい!」
と思えるようになるはずです。

損切の気持ち悪さより、規律を守る気持ちよさのほうが上回れば、
快の動機づけは成功です。



●「恐」の動機づけで、嫌な損切をする


どうしても損切が得になるとは思えないし、
また損切をすることが気持ちよいものだとも思えない、
という人は最終手段「恐」の動機づけです。

会社に所属するトレーダーは、損切ができないと、上司に怒られるでしょう。
激しく叱責され、同僚からも軽蔑される。そして会社での立場を失う。

このようにルールを守らないと、
厳しいペナルティや、コミュニティからの制裁があれば、
嫌でもルールを守るしかありません。

これはトレードの初心者には有効な方法ですが、
ゆくゆくは快の動機づけによって、自発的にルールを守れるようになった方が
望ましいということはいうまでもないでしょう。



では、「嫌なルールを守るための方法」をまとめましょう。


大前提として、もともと人間はエゴイストなのだから、
普通にトレードをやっても、生理的に嫌なルールは守れないのです。

「ルールを守るぞ! やればできるぞ!」

という精神論ではどうにもならないのです。

なぜならば、自分はエゴイストであり、
得になることか、気持ちいいことしかやらないのですから。


そこで自分が嫌なルールを守るために、
「欲」「快」「恐」の特殊な動機づけが必要になります。

特に専業トレーダーは、
「欲」と「快」の動機づけを上手く使ってルールを守りましょう。

嫌な損切が結果的に「得」になることを知り、
嫌な損切をコツコツすることで規律を守る「快」感を知る。

この意識改革ができれば、ルールは守れるようになります。


それができなければ「恐」の動機づけに頼るしかありません。

「恐」によるルールを守る方法は、個人は難しいですが、
志を同じにするトレードパートナーがいるのなら、
互いに監視をしたり、互いにその日のトレードの評価をする
などは考えてみる価値はあるでしょう。

ただし、友人同士などでは上手くいきません。
監督者が自分と同等か弱い立場であると、人間というのは必ずズルをするからです。
だって、エゴイストなのですからね。
やはり、監督者は怖い他者でなければならないでしょう。


というわけで、私は『こころ』の先生と同様に、
人間というものを信用していません。

いざとなれば、ルールを破るのが人間なのです。

損切をしなければならない「いざ」というときに、
あなたは100%損切できるでしょうか?

「いざ」というときにルールを破ってしまうのが人間なのです。
だから、特殊な動機づけでルールを破らせないように、
しっかりと自分を「調教」していくということです。

それが理性の仮面を強化していくことにつながります。
相場でも現実と同じく理性の「仮面」は外さないこと。
外してエゴイストの本性をむき出しにしたら負けなのです。

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| - | - | 09:45 | category: FX意識改革(メルマガ転載) |
# FX意識改革111 「自分が嫌なトレードルールを守るための哲学 その1」

長い間ごぶさたしていましたが「哲学」をテーマに話をしていましたね。

今回は私の人生哲学、引いては相場に通じる哲学についてお話したいと思います。

相場で暮らす私はコントラリアン(少数派)ですから、
私の哲学は、いわゆる多数派へのアンチテーゼであって、
皆さんには合わないかもしれません。

しかし、それもこれも相場で勝つためのことですから、
何かひとつでも参考にして頂ければ幸いと思います。


私の相場哲学、ひいては人生哲学の根本は、


「人間というのは、例外なくエゴイストである」


ということです。


こう言えばみなさんは感情的に「いや違う」と否定したくなるでしょう?
私だってそのことに気づいたときは、とても否定したくなりました。


人間というのは、もっとストイックで崇高な存在である(はずだ)
人間というのは、性善説に基づいた理性的な存在である(はずだ)


ところが、多くの人が信じているこの道徳的な「仮面」は、
欲望の極限状態といえる相場においては、いとも簡単にはぎとられてしまうのです。

相場では、己の欲望にひたすら忠実な人間の本性がむき出しになります。
私は、相場でそれを嫌というほど味わってきました。

相場にいる人からもそれを感じ、そして自分からも感じて、
結局自分もエゴイストな人間であるという事実に愕然として絶望したものです。



かつて私と同じように、
人間というのは、やはりただのエゴイストにしかすぎないことを
心底を思い知り絶望して、自殺した二人の青年がいました。

一人は、道を究めるためすべての欲を断つと己に課したはずの
求道者の「K」

もう一人は、親友である「K」を裏切ってしまった
思想家の「先生」

そう、日本文学の金字塔、誰もが学校の教科書で読んだことがある
夏目漱石の「こころ」の話です。


「こころ」は崇高な志を持つ「K」と「先生」が、
一人の娘に心を奪われて、その信念を簡単に曲げてしまうというお話です。

「K」は真理の追求者です。

教養を積まず享楽に耽る者たちを
「精神的に向上心のないものはばかだ」と断じるほど、
自らの精神を高め「道」を究めようと禁欲的に暮らしていました。

しかし、不覚にも下宿先の娘に心を奪われてしまい、
自分が軽蔑していた享楽の象徴であった恋をするようになりました。
たった一人の女によって自分が信じていた「道」が、
いとも簡単に曲がってしまった現実に耐えられなくなり、
最後はナイフで首を切って自殺をしてしまうのです。

「先生」はKの親友で、困窮していたKを見かねて、
自分の下宿先に居候させます。

先生は親戚に財産を奪われる憂き目にあって、
自分だけはそんな利己的な人間にはなるまいと決心していました。

しかし、Kと同じくその娘に恋心を抱いた先生は、
Kを精神的に追い詰めて、まんまと娘を手中にするのです。

先生は娘と結婚したあとに懺悔をします。

「平生はみんな善人なんです、 少なくともみんな普通の人間なんです。
それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです」

それは先生が軽蔑していた親戚のことでもあり、そして自身のことでもありました。
そのエゴイズムの重さに耐え切れず、先生も最後は自殺をしてしまうのです。


つまり、題名の「こころ」とは、エゴイズムのことです。
これは人間が根本的に持つ罪の心、エゴイズムをテーマにして書かれた小説なのです。

Kも先生も立派な志を持つ人間であったにも拘わらず、
Kは欲望から信念を曲げ、そして先生は利己心からKを裏切ってしまう。
二人は人間の醜悪なエゴイズムに耐え切れずに自殺したのです。

初めて「こころ」を読んだ人は、
単なる恋愛のもつれ話と誤読してしまうことが多いのですが、
実は、人間というのは、どんなに立派な志を持っていても、
根っこはエゴイストなのだから、
自分の欲望ひとつで簡単に志を捻じ曲げてしまうものである、

ということを書いた小説なのですね。

私も「K」や「先生」のように、結局、人間はエゴイストだということに
気づいたときには、死にたくもなりました。

しかし、エゴイストだということを受け入れて、それを肯定して生きるしかないのです。
なぜならば、私も「人間」なのですから。



というわけで、繰り返し述べますが、
我々人間は、どう転んでも、単なる利己主義者、エゴイストなのです。

「人間は自分が気持ちがいいことしかやらない」

「人間は自分の得になることしかやらない」


それが人間の行動原則の根幹です。

気持ちいいこと、得をすることは、やる。
気持ち悪いこと、得をしないことは、やらない。

人間の行動原理は極めてシンプルです。

といえば

「いやいや、気持ち悪いことでもやらなければいけないときもあるだろう」

と思うでしょう?


確かに、誰もが嫌がること、気持ち悪いことを進んでやるには、

「欲」か「快」の動機づけが必要です。

たとえばゴミ拾い。

それでお金が得られるのであれば、「欲」が生まれて人は動きます。
そのお金で他に気持ちがいいことができるからそれをやるのです。

またはお金が得られなくても、そこに「快」があれば、人は動きます。
ボランティアでゴミ拾いをする人は、なぜそれをするのでしょうか?

それは、人が嫌がることを自分がやれば、
人から感謝され自分が気持ちよくなれるという見返りがあるからです。
あるいは感謝されなくとも、
自分が街を綺麗にしているという実感から自分が気持ちよくなれます。

つまり、ボランティアは無報酬ではないのです。
ある意味、お金よりも価値が高い、
精神的満足感を得られるという報酬があるからやっているのです。

それは突き詰めると、道徳的な善悪はおいておいて、
生物学的には「自分が気持ちよくなりたい」という
己の「欲望」で動いているだけに過ぎません。


もし、その行為が、

お金も得られず、人からも感謝されず、精神的な満足感をまったく得られない、
金銭的、精神的な見返りが何もない

のだとしたらどうか?

つまり、自分がまったく気持ちよくなりえないものだとしたら、
自ら進んでそんな割の合わない行為をやる人などいないのです。
そこに打算的かつ利己的な人間の醜い姿が浮かび上がります。

しかし、金銭的、精神的見返りが何もなく、誰もやらないことだとしても、
世の中にはやらなければならないこともあります。

そんなときに人間を動かすために必要なのが、
「恐」の動機づけです。

ゴミを拾わなければ、親から怒られる、
あるいは国から罰金のペナルティを受けるとしたら、
「欲」や「快」の動機がなくても人は渋々やります。

つまり、自分を支配している物に強い恐れを抱いているとき、
人は嫌なことでもやるのです。

ゴミを拾わなければ死刑という法律があれば、
それが心底嫌なことであっても、やるしかありません。
エゴイストを従わせる最終手段は「恐」による支配なのです。
人間がエゴイストでなければ、法律や掟はそもそも必要ないでしょう。


昨今デール・カーネギーの「人を動かす」という本がベストセラーになっていますが、

私は人間が動く動機は、この3つで足りると思っています。

「欲」の見返りで動く(動かす)
「快」の見返りで動く(動かす)
「恐」の支配から動く(動かす)


そのいずれかです。

実際にはこの3つが混在して人間は動く、あるいは動かされています。
そして、人間である限り、その原則から逃れることは決してできないのです。

もちろん自分が動く動機とするのであれば、
「欲」より「快」を行動原理にした方が、
多数派に受け入られやすいですから、
それが望ましいことは言うまでもありません。

ちなみに私がこのメルマガを書いているのは、
精神的な満足感を得るための「快」の行動原理が90%
自分の教材を宣伝するための「欲」の行動原理が10%
誰かに支配されて書いている「恐」の行動原理は0%

といったところです。

「欲」がまるでないといえばウソですが、ぶっちゃけるとあまりありません。
実際にアフィリエイトの目的のメルマガを書くとしたら、
いちいちこんなに長文のメルマガなどは書かずに、
内容など二の次のものを毎週欠かさず発行していると思います。

それは私が少しでも良いメルマガを書きたいからと思っているからです。

やはり主に「快」の原則で作られているものが面白く、
そこに「欲」加わると、クオリティは半減し、
さらにたとえば会社に言われてやりたくないことを渋々やる「恐」が加わると、
それは完全につまらなくなります。

あなたが会社に勤めているとしたら、
「欲」の行動原理が何%で、「快」の行動原理は何%で、「恐」の行動原理は何%かを
考えてみると、ハッと気づくことがあるのではないでしょうか?

ちなみに「快」「欲」「恐」の行動原理というのは、
何かの本に書いてあるとか、誰からの受け売りでもなく、
私が相場で過ごす日々で身に着けたオリジナルな考えです。



さて、話を戻しましょう。ここからが本題です。


「人間はエゴイストである」という哲学は、相場にも通じているのです。

困ったことに相場は逆説の世界、鏡の世界です。

エゴイストな人間が集まるのだから、
その心理の逆を突かないと勝てないわけですね。

つまり、

「その行為がお金も得られず、人からも感謝されず、精神的な満足感を得られない」

ことをあえてやらなければならないのです。


それはエゴイストな人間である自分が、

「守るのが生理的にめちゃくちゃ嫌なトレードのルール(例えば損切)を、
いかにして守っていくのか?」

というトレードで勝つための命題につながってくるのです。


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| - | - | 20:09 | category: FX意識改革(メルマガ転載) |
# FX意識改革 110  「トレーダーの幸福論 その2」
前回のメルマガでは、専業トレーダーの肩身の狭さについて書きました。

トレーダーという職業は「お金」は得やすいが、人からは認められにくい。
だから孤独になりやすく、幸福感を満足に得ることができず長続きしない。

では、トレーダーを続けながら長く幸せに暮らすにはどうすればいいか?
どのようにして、この浮世離れした仕事と付き合うべきかについて話しましょう。


●トレードの仕事を他人に認めてもらうことは可能か?

トレードでお金を得て、さらにそのことを
他人に認めてもらうにはどうすればいいでしょうか?

ひとつはトレードを通じて、
他人に役立つことをすることです。

つまり、トレーダーになりたいと思う人に、自分のノウハウを教えること。
今風にいえば「シェア」することです。
そうすれば、シェアした人から感謝されて、
自己愛を得ることができる・・・はずです。

また、トレーダー同士でコミュニティを持てば、
お互いに共感をすることができます。
トレーダーというのは孤独ですから、仲間に飢えているはずです。
日ごろ人に言えない悩みを打ち明ける場を持つことも
共感の自己愛獲得につながる・・・はずです。

しかし、これらの方法は、みなさんにはオススメしません。
というのも、トレードには「お金」が強く絡んでいるからです。

「お金」は人間関係を破壊する強い力を持っています。
「お金」の要素が強い関係においては、
簡単に人から認められないし、尊敬されないし、共感もされないからです。
だからスムーズに自己愛を得ることが難しいのです。

たとえば私はこうしてノウハウを人に教えることを実践していますが、
やってみてよくわかりましたけれども、
この方法による自己愛の獲得は容易ではありません。
「お金」が絡むと人は打算的になります。それは当たり前の話です。
そんな中では他人からストレートに感謝されることは稀なのです。

トレーダー同士でコミュニティを作ったり、オフ会をやっても、
おそらくまともに認め合ったり、共感したりはできないはずです。

「今年は100万円負けてしまったよ」と打ち明けて、

「えー、負けてるの? 俺は300万勝ったんだけど。
確定申告とかどうしようかと悩んでいるんだよ」

といわれれば、そこで妬みが発生して、
その時点で、コミュニティの人間関係は崩れます。
負け組が素直に勝ち組に共感をすることは無理でしょう。


●トレードの仕事は、ただの「お金」稼ぎとして割り切る。

というわけで、専業トレーダーであることをカミングアウトしたところで、
素直に認めてくれる人はいません。

それだけ世間のトレーダーに対する認識は良くありません。

NHKの連続ドラマ「まれ」で、主人公の希の弟が、
就職をせずにデイトレーダーを目指す道を選択しましたが、
家族大反対で、いかにも危ないイメージで描かれていました。

国民的ドラマがそのように描いているわけですから、
世間に対するデイトレーダーのイメージも、また同じに違いないでしょう。

なので、専業トレーダーの人も、
世間に理解されないことはよくわかっていますから、
自分の仕事を公にカミングアウトする人は少ないです。

サラリーマンの中には、仕事はただの金を稼ぐ手段として
ドライに割り切っている人もいると思いますが、
専業トレーダーも普通はこのタイプでいくことになります。

トレードはあくまで仕事として、自己内で完結させる。
バイト感覚で「お金」を稼ぐことだけを目的とする。
トレードの仕事を通じて、人に認められようとか、
人に感謝されようというのは一切考えない。
トレードの喜びや苦しみも、また誰にも話さない。
ただただ、儀式のように淡々と粛々とやる。

淋しいですが、ひっそりとこっそりやる。
それが専業トレーダーの処世術です。

では、人から認められたり、
人と共感したりするのは、諦めるのでしょうか?
いいえ、それはあくまで別の方法でやればいいのです。


●トレードの仕事とは別にライフワークを持ち、そこで人に認めてもらえばいい。

つまり、トレードを本業として、副業を持つということです。

トレードで稼いだお金で副業をやる。
それは人から認められやすく共感を受けやすいものを選ぶ。

たとえば副業でちょっとしたお店を経営するのもいいでしょう。
美味しいカフェを経営すれば、地元の人から感謝されます。
そして何か事業を持てば、あなたの肩書はトレーダーではなくなります。

「なんの仕事をされているのですか?」

と聞かれたら、

「駅前にある○○というカフェを経営しています」といえば

「え、あそこの社長さんなんですか!」と一発で人に認めてもらえるでしょう。

こちらの方が専業トレーダーです、なんていう
ややこしい説明をして、怪訝な顔をされずに済みます。

もちろんカフェは一例です。
自分の経験がある仕事を別に持つということです。
専業トレーダーをしながら、せどり商売をやる人もいますが、
できるなら交流のないIT空間で終わらせずに
バイトを雇ってお店を出すのもいいんじゃないでしょうか?
小規模ならそんなに難しいことでもありません。

それとここがミソですが、
専業のトレードで稼げば、別に副業は稼がなくていいのです。
副業は趣味レベルでもいいのです。

よく住宅地の中に小さなブティックがあるでしょう?
こんな立地で儲かるのかな?と思うものですが、
ああいう商売は、稼ぐためにやっているわけではないのですね。
服が趣味のお金持ちの主婦が、
採算度外視で人と交流するためにやっていたりするのです。
儲けはお小遣い程度で良しとして、
地域のコミュニティとつながること自体が報酬なのです。


副業が難しいのであれば、ボランティアや寄付でもいいでしょう。
ボランティアにいけば、他人から簡単に認められますし、
たくさん共感することもあります。
あっという間に自己愛は満たされるはずです。

寄付も同様で、地元の野球教室にでも用具を寄付すれば喜ばれます。
寄付した人たちからは認められて、自己愛も高まります。
それに寄付は税金対策にもなります。一石二鳥です。

そう、人からお金を受け取るより、あげるほうが感謝される。
もしくは、お金が絡まないほうが、自己愛は得やすいのです。
寄付やボランティアは、その点において秀でています。


それもちょっと・・・というのであれば、
あとは趣味のサークルに入るのがいいでしょう。

その際には自分がなるべく得意としている分野のサークルに入るべきです。
自分が得意なものや向いているものを選ばないと、
他人から認められにくいので、モチベーションが続かず長続きしません。

たとえば下手な絵を上手くなりたいからといって、
絵画教室に通うのは実はよくないです。

元々向いていないことをやっても、それは平凡な成果にしかなりません。
どこか抜きんでたところがないと、周りの人は褒めてくれない、認めてくれないから、
自己愛の獲得が難しいのです。

絵の心得がある人がもっと絵がうまくなりたいから絵画教室に行く。
そちらのほうが簡単に皆から一目置かれ、褒められたりするものでしょう。
それに技量の同じ人とは共感して切磋琢磨しやすいですし、
また技量の低い人に教えることで自尊心も保たれます。

だから、趣味は自分の得意なものを選びましょう。
さらに尊敬できる先生を持てば、その先生を通じても自己愛を得られます。
他人から承認され、他人を尊敬し、他人と共感する、
一石三鳥で自己愛を育めます。


専業トレーダーとして軌道に乗れば、時間を持てるようになります。
まるで定年退職してリタイアした人のように。

しかし、そこで遊び暮らしても、決して幸せにはなれません。
夜な夜な退屈しのぎにパーティーをする貴族のような虚しさでしょう。
消費が消費を呼ぶ、享楽が享楽を呼ぶ欲望のサイクルには嵌らないことです。
そこには幸せはありません。

ぜひ、トレードにより自由になった時間と稼いだお金で、
あなたのライフワークをしてください。

つまり、トレードとは、
あなたのライフワークを実現するための手段に過ぎないということです。


副業、ボランティア、趣味のサークル。
どれもがライフワークにできるはずです。

そのライフワークを通じて、コミュニティと交流して、
そこで人に認められ、人を尊敬し、人と共感する。
それによって、自己愛を高めて幸福感を得る。

それが、専業トレーダーが心身共に幸せになるための方法です。
 

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| - | - | 02:16 | category: FX意識改革(メルマガ転載) |
# FX意識改革 109.5 「トレーダーの幸福論 補足3」
トレーダーの幸福論と題して、
人間が「尊敬」と「共感」から得る幸福の仕組みについて書きましたが
もうひとつ「承認」についても補足しておきましょう。

人間は他者から認められると幸福感を抱き、
認められないと不満を抱くものです。
しかし、他者に認められるというのは、昔から難しいことでした。

村のコミュニティにいる若者たちは一生懸命村のために尽くし
ようやく村人たちに認められることで、一人前になれたのです。
反対に怠け者は認められず、切り捨てられました。

基本的にそれは、現代でも変わりありません。
現代社会が唱える「平等」はあくまでタテマエです。

社会は未熟な人間を常に糾弾します。
それは世間が無職や生活保護者に厳しいのを見てわかるでしょう。
今の社会は役に立たない人間は必要としていないのです。


ところでこんなことを考えたことはありませんか?

「どうして勉強をしなければいけないのか?」

なんで方程式や古文など実際の社会で
役に立たないようなものを勉強しなければいけないのか?
学校の勉強になにか意味があるのだろうか?
勉強はやりたい人だけやればいいじゃないか?

「どうして働かなければいけないのか?」

工場でよくわからない部品を機械のように
組み立てるのには意味があるのだろうか?
だいたいこの仕事は誰かのためになっているのだろうか?
こんな体をすり減らしてまで働く必要なんて本当はないのではないか?

と思ったことはないでしょうか。

これらの素朴な疑問に対しての定番の答えは、
「生活のためです」

お金を稼ぐためにツマラナイことでもやっておかなければならない。
学歴を身に着けるのも、意味のない仕事をするのも
すべてはお金を稼いで生きるためだ。

というものです。たしかにそうでもあるのですが、
ただ、この答えは私的には100%ではないですね。


私の回答は、勉強するのも働くのも
ひとえに「他人に認めてもらうため」です。



勉強をしないで学校の成績の悪い人は、世間は認めてくれません。
人間は他人に認められないと承認欲求を満たせず、幸福感を得られません。
だから、それが本当は意味のないことだとしても、
社会が評価の基準と定めている以上、
幸福になるためにやらなければならないのです。

もし木登りが出来たら一人前だと認めてくれるという社会基準があるのなら、
それが無意味なことだったとしても、
その社会に属す限りは真剣に木登りをしなければなりません。

そうしなければ社会から切り捨てられるからです。
現在の社会は「学歴」が社会基準です。
だから役に立たないと思われることでも、
人に認められるために勉強しなければいけないのです。

なぜ、働かなければいけないのか?というのも同様です。
世間は無職の人を決して一人前の大人であると認めてはくれません。
だから、その仕事が本当は無意味なことだとしても、
周りの人たちに認めてもらうために、働かないといけないのです。

職場で意味のない雑用をしなければならないのも、
会社にいる人に認められるためにしなければならないことなのです。
腐らず逃げずに下積みを続けていくことで、
他人が次第に自分のことを認めてくれるようになるのです。

人に認められるというのは、そのくらい大変です。
それだけにがんばって、社会で地位を得て、
人から認められた者は、幸福だといえるでしょう。


けれど、私はこのような競争で生き残った人だけが認められる社会は、
いずれ行き詰ってしまうとも思います。

なぜならば、人間はそんなに強い生き物ではないからです。
競争社会では、競争に負けて挫折した人の数が必然的に増え続けていくし、
そうして不満を抱いた人は、他人を素直に認めることはないからです。

そうなると、いくらがんばっても誰も認めてくれないという
不満と閉塞感にあふれた社会が実現してしまうことでしょう。



では、競争原理抜きで、他人から認めてもらい、
承認欲求を満たす方法はないのかといえば、実はあるのです。


それは「人を認める」ことです。
こちらから先に人を認めてあげるのです。

承認欲求というのは現代社会においては、
満たされ難いものになっているので、
皆、人に認められることに飢えています。

だから、こちらから、あるがままのその人を認めてあげる。
すると、その人もまた自分を認めてくれやすくなり、
互いに競争なんてしなくても、承認欲求を満たすことができ、
容易に幸福感を得ることができるのです。


そのやり方を良く知っていたのが、田中角栄だと思うのですね。
彼はこんな名言を残しています。


「人間は、やっぱり出来損ないだ。みんな失敗もする。
 その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかなんだ」



もちろん自分はがんばる。でも、頑張れない人もいる。
けれど、そんな人に辛辣な言葉をかけずに
「お前はお前のペースでがんばれよ」とその人のことを認めてあげる。
田中角栄が目指していたのはそういう温かい社会だったのでしょう。


競争社会に身を置くトレーダーというのは、
誰からも認められずに殺伐としたメンタルになりやすいものです。

息苦しくなっていたら、この田中角栄戦法を試してみてください。
まずは自分の周りの小さなコミュニティで、
自分から先に「他人を認めてあげる」という方法を実践してみる。
すると心に余裕を持つことができ、いい変化が訪れるはずです。

 

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| - | - | 15:20 | category: FX意識改革(メルマガ転載) |
# FX意識改革 109.5 「トレーダーの幸福論 補足2」
コフートの自己愛心理学を考えていくと、
まさに感情で動いている人間の生態学がわかるようになるのです。
前回は「尊敬」のスキームでの自己愛獲得の仕組みについて触れましたが、
ついでに「共感」のスキームでの自己愛獲得の仕組みについても補足しておきます。


突然ですが、世の中では頻繁に「ブーム」が起こりますよね。
そう思いませんか?



いまいちな芸人のネタが、なぜが大々的に持ち上げられる。

たいしたことが書いていない本がベストセラーになる。

花柄のファッションが流行になる。

どれもこれも、しばらくすると廃れる。


ブームが、一体なんで起こるのかといえば、
これも自己愛心理学を考えれば簡単に説明できます。

つまり、ブームとは癒されたいと思う人間が作り出す
「共感のイベント」なのです。

人間がお互いに通じ合いたいという共感を欲しているからこそ、
自然発生的に起こることなのです。

そういう人間のグツグツとした欲望のなかから、
突然湯気が立ち上るように、ブームは生まれます。


たとえばあるドラマがブームになったとするでしょう。

みんながそのドラマを見れば、その感想を言い合って、
お互いに共感をすることができる。

「あのドラマ見た?」
「いやー、最終回良かったよね」
「ホントホント!」

と、お互いにその話題を共有することで、
簡単に心が通じたように思うわけですよね。


製品もブームになったりしますよね。

スマホがブームになっていれば、みんなそれに飛びつきます。
実はスマホなんていらないんじゃないか?
そんなのなくても普通にやっていけるのに、
どうして、自分はそれを持っているのだろう?と思うものです。

それは他人と共感したいがために持っているともいえます。
他人と同じものを持てば、他人と共感することができます。
大げさですが、深層心理では、自分はひとりじゃないんだ、
みんなと分かり合えるのだと安心するわけです。

だから、人間は流行りものに弱く、同じものを身につけたがる。
もともとの習性は「右へならえ」なのです。


というわけで、突発的に起こるブームは、人間が共感するために
人間の淋しい心理状態が作り出した社会的なイベントである・・・
と私は思うのです。

「はい、本日はみなさんの心を癒すため、
 こちらのブームを用意しました!
 ご参加くだされば、参加者どうしで繋がって自己愛を満たせます。
 どうぞこの機会にご参加ください!」

というような社会における自己愛のタイムセールスのようなものです。
人と交わるのが不器用な方のために社会が用意した救済処置というと、
言い過ぎかもしれませんが、ブームにはそんな心の潤滑油的な役目があります。

定期的にブームがおきないと、
人は共感がうまくできなくて息苦しくなってしまうでしょう。
社会におけるガス抜きのようなものとして機能しているのだと思います。
地域コミュニティの伝統行事やお祭りと同じです。
定期的に人とつながらないと、人の心が癒されないから
毎年お祭りなどの行事があり、そこで互いの思いを共感する必要があるのです。

狡猾な企業はそのあたりは十分に熟知していて、
マーケティングでブームを人工的に作り出そうとしています。
まるで猛獣使いのように人間を操っているのです。

こういうエサをまけば、撒き餌に群がる魚群のように
共感を欲する人がたちが集まってくる。

ただ、その餌を食いつくすと人は去ります。
ブームを介して人と共感することができなければ、
そのブームはすぐに廃れるのです。

一発芸人のギャグでみんなが共感できるのは、せいぜい3か月くらいでしょう。
共感されつくしたら、それにはもう価値がありません。
そのネタで他人と共感ができなくなると、それを持ち上げる意味はもうないのです。
ブームにはすべて賞味期限があります。

現代はおひとり様時代と呼ばれているし、殺伐とした社会情勢なので、
これからも共感イベント=ブームは必然的に次々と出てくるでしょう。
ブームが起こったら、自分一人でとんがらずに、
あえてそこに飛び込んでみんなで共感しあうのも必要なことです。

ただし、のめり込まずにほどほどにしたほうがいいかもしれません。
前にも書いたように心を穏やかにするためには、
自己愛獲得の方法1、2、3をバランスよくやることです。
ブームは3の方法ですから、それだけだとバランスが悪くなってしまいます。


ちなみに相場でもこのような人間の共感の感情がバブルにつながってくるのだと
私は思っています。相場におけるブームがつまり、バブルです。

何の材料もないのに上がっている銘柄などは、
みんなが買っているからと安心して買う人が多くなり、
どんどん過熱していくのです。
そういう銘柄はファンダメンタル分析など通用しません。

どの株の銘柄や通貨にブームが来ているのか?と別の視点で考察すると、
また相場が違った視点で見えるでしょう。
 

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