「FX意識改革」ブログ

 2009年からFXのトレードについて真面目に解説しています。
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# FX意識改革 109.5 「トレーダーの幸福論 補足1」
先週末メルマガを発行しようとしたのですが、できなかったので、
代わりにブログで前回の補足を書いておこうと思います。


前回のメルマガで、人間が自己愛を高めるための3つの方法を書きました。


1 他者から認められる
2 他者を尊敬する
3 他者と共感する


これを行うことで、人間の心は自尊心で満たされるということです。
と言うまでもなく、人間は本能的にこれをやっています。


ただ、現代社会になって、私が強く感じるのは、

1と3での自己愛獲得は難しくなり、
もっぱら人は2で自己愛獲得をするようになったと感じることです。


競争社会の激化によって、他人から認められにくい世になりました。
それはみなさんも感じるところでしょう。

他人から褒められたり、感心されたり、
と一個の人間として、明らかに大切に扱われにくくなりました。

会社に勤めても厳しい仕事ばかりで、他者から認められるなんてことはない。
ブラック企業が台頭していることでもわかるように、
人を消耗品のように扱う会社がたくさんでてきた。
また、そんな会社が増えたものだから、
会社も客を単なるお金のツルのようにしか考えなくなった。
なので他者から純粋に認められるなんてことは、昔と比べて少なくなったように思います。


また、競争社会が激化したことで、3による自己愛獲得も難しくなりました。

競争社会でちょっと弱音を吐けば「何を甘えているんだ」と言われるでしょう。
言っている方も競争社会の中でカツカツに暮らしていて余裕がなくなっており、
弱者をいたわる心はすっかりなくなってしまっているはずです。

だから、だれもが簡単に弱音など吐けない。
弱音を吐けば吐くほど世間から痛めつけられる。
だから、体が壊れるまで、頑張るしかない。

現代社会はこんなにも息苦しい状況だから、
他者と共感しての自己愛獲得も難しくなっていると、私は思います。


1と3から自己愛を得られないのであれば、
あとは2から得るしかありません。

「他者を尊敬する」というのは、会社に勤めていなくても、友達がいなくても、
コミュニティに属していなくても、できる都合のいい方法なのです。

自分の中でヒーローを作り、そのヒーローを通じて、自分の自己愛を満足させる。
という、いってみれば、かなり自分勝手な方法なのです。


たとえばヤンキースの田中将大。
私もそうですが、彼を尊敬している人は多いでしょう。

1年目に大活躍をしたときは、誰もが拍手喝采を浴びせました。

ニュースサイトの感想を見ても、
一様に「本当に素晴らしい選手です。誇りに思います」というような反応でした。

しかし、怪我をしてしまい、この前は6失点もしてノックアウトされてしまいました。
次第に活躍に陰りが見え始めると、突然掌を変えたようなコメントが並びます。

「ちょっと考えが甘かったんじゃないでしょうか云々」
「この球威ではメジャーでは通用しない。そもそもメジャーで勝ち抜くには云々」

と一転して、批評家目線の厳しいコメントが並びました。

なぜ、人はそういう辛辣な掌返しの反応をしてしまうのでしょう・・・?
その人が落ち目になろうとも「いつまでも応援しています!頑張ってください!」
と純粋に温かく応援するのはダメなのでしょうか・・?


スポーツ観戦に出かければ、それはもっと露骨にわかります。
いいプレイをした選手には「よし!よくやったぞ!!」と拍手喝采。
エラーをした選手には「ふざけるな! やる気があるのか!」という怒号やヤジが飛びます。

それは当たり前の反応に思えるし、私も実際そんなことをしていますが、
それは裏を返せば、その選手やチームを通じて自分が自己愛を満たしているからです。
いってみれば尊敬や応援している対象は、
自分にとって数少ないとても大切な大切な「自己愛供給源」なのです。

彼らが活躍してくれれば、自分も誇らしく思える。すると自己愛がアップします。
幸せな気持ちになれるのです(言い方を変えれば「元気や勇気をもらえる」というやつです)

彼らが活躍しなければ、自分も誇らしく思えない。これでは自己愛が獲得できません。
故に人は不満を述べます。


そもそも人が人を尊敬するのはなぜか?

それは、その人を利用して、自己愛を獲得したいからなのでしょう。

理想化対象にコバンザメのように張り付いて自己愛を育んでいるのです。
その人が尊敬に値しなくなれば、自分も自己愛を得られないので、
人は冷たくその対象をバッサリと切り捨てます。
コバンザメのごとく、また別の理想化対象を見つけに彷徨うことでしょう。

だから活躍しなくなったスポーツ選手には誰もが冷たい。
スキャンダルを起こしたアイドルには辛辣な意見を浴びせる。

人間は尊敬できない対象には常に辛辣なものです。
それは、その人を通じて自己愛が獲得できないからです。
自分にとってまったく役に立たない、だから冷たい反応になるわけです。

それはなにも芸能スポーツに限る話ではありません。
その法則は、自分が理想化している対象すべてに適応されます。
会社や国といった組織に対しても同様です。

いってみれば宗教も同じです。

人が神を作るのはなぜか?

それは、その神を尊敬して、そこから自己愛を得るためです。
だから開祖なんていうのはすべて神格化されてしまうのです。

宗教というのは、自己愛獲得においてとても都合のいいスキームです。
教祖は絶対に尊敬できる人物に仕立て上げられているからです。
プロ野球選手のように活躍しなくなることはありません。
だから、その人を崇めやすいし、スムーズに自己愛を獲得できるのです。


というわけで他者から褒められなくなり、共感できなくなった競争社会においては
人間は、なんらかの人や組織に自己愛対象を求めます。

それは、有名人であったり、キャラクターであったり、
国や会社であったり、宗教であったりするでしょう。

中には熱狂的にのめり込んでいる人もいるはずです。
それは裏返せば自己愛獲得の方法が乏しくなっているというサインでもあるのです。
それではバランスが悪いでしょう。

現代社会では難しくなったとはいえども、
1と3で自己愛を満たす方法を開拓すべきです。
(その方法については次回メルマガで書きたいのですが)

逆にいうと1と3で自己愛を十分に獲得できている人は、
2はさほど意識していないものです。

たとえば新婚ほやほやで幸せな家庭にいる人は、
2のスキームで作られている宗教にのめり込んだりしないし、
特定の人を強く尊敬したり応援したりすることもさほどないのではないでしょうか?

「オリンピック?  いやー、今は正直あまり興味ないよ。昔はよく応援したけどさ」

こういう人は2から自己愛を得ていない、あえて2で得る必要がない。
ある意味、幸せな人なのでしょう。

この話は次回のメルマガに続きます。


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| - | - | 15:07 | category: FX意識改革(メルマガ転載) |
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